城跡は奈良県吉野郡吉野町飯貝にあって、蓮如上人ゆかりの地でもある「本善寺」背後に聳える標高約320mの山の山頂に位置している。城史に関しては丹治城同様、幾度となく攻防の歴史が伝わっているが、戦国期において吉野に侵入して来た筒井氏により落城した模様。その後の詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた丹治城を起点とすれば解り易い位置にあるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、二城同日訪問とするのであれば、37号線より本善寺を目指した方が山城巡りとしての効率はよいだろう。本善寺背後の山中腹にある集合墓地の最上段に「蓮如上人廟」があるが、この背後よりNHKアンテナ施設まではメンテンス登山道が繋がっており、この道を利用すれば城跡までは迷わず辿り着ける筈である。ちなみに寺院からは15分程度の所要時間となるが、車の駐車には非常に苦労させられた。寺院駐車場までは一部凄い急坂となっており、自身が所有する高回転型の車では上れる自信がなかったので、吉野川沿いに車を停めた事だけはお伝えしておきたい。

     登城ルート1登城ルート  城跡概念図3概念図 

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、南、北痩せ尾根両端に施された堀切間を縄張りとするのであれば、腰郭を含めた三郭構造という事になるのかも、、、この山城における最大の見所遺構は、主郭西側に備わる明瞭な枡形虎口という事になるが、空堀状になったその入城口は、L字型に折れ曲がった内枡形の形状で、見学者の眼は間違いなく楽しませてくれるものとみた!山城においてこれだけ明瞭なものは中々お目にかかれないし、とにかく一見の価値あり!空堀は先に触れたように南北痩せ尾根の両端に施されており、後者は僅かに土橋を伴う堀切、前者は掘削幅のある見応えのある大堀切として存在感を醸している。空堀は縦堀として主郭南側斜面にも施されているが、主郭壁より一直線に下まで落ち込む様は豪快極まりないもので、鋭角に削り落とされた切岸と並んで、非常に見応えを感じるものとなっている。土塁は土塁痕として概念図には記したが、現状非常に薄く眼を凝らさないと判別も難しいものであり、自ずと見応えまでは望めないという事になるだろう。

北大堀切12北堀切 主郭切岸13主郭北切岸 主郭15主郭 

枡形虎口18枡形虎口 南縦堀20南縦堀 西土塁痕29西土塁痕 

    南西尾根堀切26南西堀切 北腰郭縦堀14北郭縦堀

現状(五月訪問)城跡は、それなりに薮化は進行しているものの、移動に難渋させられる事もなく、概念図に示したまでの遺構は全て判別確認し易い状況にあり、縄張り全体をくまなく見て廻れる事を思えば、低草木は多く蔓延るが、それなりのコンディションの下にあると言っても差し支えないかもしれない。城跡の評価としては、明瞭な枡形虎口と空堀見学だけで、間違いなくお薦め出来る山城の一つといえるが、メンテナンス登山道で迷わず辿り着ける事を思えば、山城ファンの方だけを問わず、史跡ファンの方々も充分楽しんで頂けるのではないかと思えたのである。
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城跡は奈良県吉野郡吉野町丹治にあって、「吉野神宮駅」から見て南東側に聳える、標高約260mを測る山頂に位置している。城史に関しては登城登山口に掲げられてあった現地案内板をクリックの事

城跡を訪れるには国道169号線へ進入する事が先決となるが、「桜橋北詰」の信号で37号線へ進路変更すればよい。先にリポート掲載を終えた六田城訪問ルートから37号線へ進入してもよいが、登城登山口としての目印となるのは「金龍寺」で、車は公民館側の空きスペースをお借りすればよいとは思われる。そこから寺院に向いて右手に狭い路地が見えるが、これは寺院敷地塀の外側を通過する路地で、ここから寺院背後に回り、案内板の掲げられた登山口(画像に注目)へ合流すればよい。ここからは登山道に任せて上る事になるが、10分足らずで主郭までは辿り着ける筈である。

      登城ルート1登城ルート 現地案内板2現地案内板

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければよいが、主郭から派生する枝尾根が二方向(東と北)だけに限られると思われた事から、結果的に踏破探索する範囲も限られたものであり、概念図にほぼ近いものと思って頂いても差し支えないかもしれない。現状山上本郭群は段差程度の郭区画はあるが、西郭群までは緩い傾斜地形と化している。その北側には広大な規模を誇る腰郭が付随するが、ここでは二連の明瞭な井戸跡を眼にする事が出来るだろう。切岸は腰郭から主郭まで高低差約6mを鋭角に立ち上がる、下草の蔓延らない「これぞ切岸!」といった見事なものを拝める筈である。堀切は南東痩せ尾根で二箇所確認出来るが、何れも五世紀に渡る地表風化は激しく、見応えまではとても望めないものと思って頂きたい。ちなみに当時の遺構か否かの判定は難しいが、登山道中における鞍部到達手前で、二連の空堀(画像に注目)が眼に留まったが、一本は登山道としての空堀(縦堀)、もう一本は薄いが当時の縦堀と自分の眼には映ったのである。もちろん空堀が両脇に施された上り土塁土橋手前に施されているといった、縄張りプランも考慮に入れ、更に必然性も含めた上でという事にはなるが、、、この上り土塁からは登山道を跨いで直ぐ北側へ切込み削平地も窺えるが、これはあまりにも平坦地形過ぎる事を理由に、当時の遺構としては少し無理がある様に思われた、、、謎。ただしこの上部にある出郭跡には、明瞭な切岸跡の窺える段郭群、あるいはその最高所にある薄い土塁が四方を巡る見張台の如き地形は、紛れもなく当時の遺構と思えたのである。ただしこれも推測の域は出ないものであり、これは取り敢えず見学者の想像に委ねられる部分としておきたい。その出郭跡地にひっそりと佇む墓石を思えば、土塁に限れば墓地区画として後世に施された可能性もあるので、、、

城跡概念図3概念図  縦堀か7二連縦堀か  上り土塁14上り空堀土橋 

腰郭17広大な北腰郭 北切岸20美しい主郭北切岸 井戸跡22井戸跡二連 

西郭群29西中郭土塁痕 主郭側31主郭側段郭 東堀切136東堀切1

    東堀切238堀切2 北出郭方形土塁痕北出郭

現状(五月訪問)城跡は、それなりに整備された状態にあり、無駄な木々は蔓延らず見通しは利き、西郭に佇めば一方向に限るが充分眺望も利き、山上における郭占有面積が比較的大きいという理由もあるが、臨場感だけは間違いなく味わえよう。よって城跡を個人的に評価するとすれば、見学材料に少し欠けなくもないが、山城では滅多にお目にかかる事が出来ない当時の井戸跡が残っている事、高低差を誇る美しい切岸が拝める事、更にそれに加え堀切が拝める事、比較的コンディションが良い事、これに登山道で迷わず登れる事も加味すれば、自ずと是非お薦め出来る山城の一つと言わざるを得ないだろう。山城ファンの方だけに限らず、史跡ファンの方々や老若男女、更に子供を問わず、城跡は人それぞれ色んな楽しみ方があってよいものであり、これを前提に是非期待して臨んで頂きたい。数世紀にわたる風雪をものともせず、自然に任せるがまま現在に至った、ほぼ当時のままの手付かずの山城が、間違いなくそこに存在しているのである。
城跡は奈良県吉野郡吉野町六田にあって、牟田寺背後の標高約220mの丘陵上に位置している。城史に関しては、吉野城を南朝側における本城とした際の、飯貝城、丹治城、一ノ坂城と同様、その外殻を形成する北枝尾根末端に築かれた支城の一つとされている。

城跡を訪れるには、吉野川に沿う形で東西に走る国道169号線に進入する事が先決となるが、「美吉野橋北詰」信号より進路変更して南下、その突き当たりにあるのが、今回登城登山口とした「牟田寺」で、墓地駐車場から直ぐ見える集合墓地端(画像に注目)より参拝山道に進入して丘陵上を目指す事になる。最上段の墓地からは、僅かな踏み跡を辿っての直登となるが、数分で丘陵上へは到達出来る筈である。そこから右手側(西側)に向いて歩く事になるが、直ぐに東尾根を断つべく二重堀切が迎えてくれよう。

登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図 (2) 大土塁跡7東崩落大土塁

城跡の形態は、何時もの様に概念図を参考にして頂く事になるが、丘陵上に枝尾根がない事から、ほぼ概念図に描いたものに近いと思って頂いても差し支えないかもしれない。山上本郭群は腰郭を含めて四郭から成立したもので、見所遺構は概念図に示したが、先に触れた二重堀切、腰郭から鋭角に立ち上がる、高低差6mを誇る切岸といったところまでか、、、山城見学の中で一番期待されるのが堀切という事になるが、この二重堀切は長年の風雪によって、堀切を跨ぐ土塁はほぼ崩落しており、空堀も堆積物で深さは失われ、見応えまでは期待し難いものと思って頂きたい。ただし6mに達する堀切壁となる切岸の存在感だけは抜群!

二重堀切19堀切1 主郭12主郭  西郭群13西郭群 

西郭切岸15西郭1端切岸 腰郭18北腰郭 西郭切岸約6m17西郭群北切岸

現状(五月訪問)城跡は、当然薮化は進行中にあるが、遺構見学に差し障るまでには至っておらず、人の滅多に訪れない山城とすれば、それなりのコンディションにあると思って頂いても差し支えないだろう。ちなみに登城ルート図には、現地で人に接触する事が叶わず確証までには至っていないが、推定地として一ノ坂城も記した。この地が「一ノ坂」と呼ばれる地である事から、まず間違いはないと思われるが、集合墓地背後の丘陵上では、下草で一面覆われた80mにも及ぶ平坦地形が窺われた事、ここから更に山道を東側へ少し登った左手山道沿いに空堀地形と土塁地形、あるいは切岸跡の残る帯郭地形が窺われた事だけはお伝えしておきたい。もちろんこの地が砦跡といった確証はないが、、、最後に城跡を個人的に評価する事になるが、今後リポート掲載予定の、丹治城や飯貝城と併せた同日訪問は、自ずと山城ロマンにも浸れる事から、当然お薦め出来る山城の一つという事にはなろうか。
城跡は京都府亀岡市千歳町国分にあって、標高約531m、直登取り付き口からの比高は約380mを測る山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた江島里城を起点とすれば、分かり易い位置にあるとは思えるが、この山城を訪れる際目印とした「さくら公園」からは登城ルート図を参考にして頂きたい。公園手前の道で右折して、登城取り付き口となる渓流沿いにあるキャンプ場を目指して、林道に従い車を走らせる事になるが、キャンプ場に併設された駐車場北側の尾根先端部にある、小さな祠の佇む削平地を直登取り付き口とした。国土地理院地図には更に林道を北上した付近に山道が記されているが、この山道が現在も使えるとはとても思えなかった事から、山頂に向けて迷わず上れるであろう、この急斜面をチョイスしたのだが、狭い等高線から窺われるように、この直登ルートは山頂までほぼ激斜面の連続!約40分かかって、やっとの思いで山頂へ辿り着く事が出来た。

登城ルート1登城ルート  キャンプ場7直登取り付き口 渓流6キャンプ場渓流

この山城は自身の所有する文献資料の中にも登場する城跡ではあるが、丹波を中心に山城巡りをされている方からのメール情報で、数年前既にその所在位置も、その実態も確認に及んでおり、京都府遺跡分布図中にもマーキングされている山城の一つと聞くにも及んでいた。その情報によれば、「山頂は広大な規模を誇る削平地のみで、その内部にこれといった残存遺構は確認出来なかった」、といった事もあって、遺構には全く期待出来ない山城として自身の中ではファイリングされていたのだが、今回は江島里城や波多城と併せた同日訪問で、やっと訪れる事が叶えられた。その事前情報通り、山頂は広々とした削平地が数百mに渡り連続したもので、その内部で土塁や空堀などの遺構は全く眼に留まらなかった。もちろん切岸も確認は出来なかったのだが、これほどまでとは、、、、、この地を城郭遺構としたからには、間違いなくそれと判る城郭遺構が存在して然るべきとも思われるのだが、非常に考えさせられる山城の一つとして、自分の中にはインプットされたのである。深いリサーチまでには及んでいないが、郷土史には登場しているのかも、、、
ちなみに直登取り付き口には、伊賀の居館跡と同様の、尾根先端部を利用した切り込み手法による土塁のある削平地が、土塁を境として二つ並んでいるが、この地を城郭遺構とした方が、自分としてはよほど納得させられるような気がしたのである。まさかこれが当時の遺構とも思えないが、、、

直登取り付き口8直登取り付き口 広大な山上郭16主郭

現状(三月訪問)城跡は、薮化は相当進行中にあるが、広大な規模を誇る主郭跡の見通しは利き難いものの、直登道中がそうであったように、踏破探索には左程支障は来たさない状況にあると思って頂いても差し支えないだろう。ただ主郭四方斜面を上り下りして全体踏破した訳ではないので、残存遺構に関しては未踏地に僅かながら残っている可能性があるのかもしれない。この城跡を訪れるに当たっては、縄張りプランも含めて残存遺構には決して期待しない事が前提となるが、最初から山登りを楽しむ事を前提とすれば、険峻極まりない地に佇む山城の風情を味わう事も出来、充分達成感も得られるような気がしたのである。
城跡は京都府亀岡市千歳町千歳にあって、「山城賛歌」で既に数年前リポート掲載を終えた城跡の一つでもあるが、リポート掲載後、公的資料にある本来の城跡は「蔵宝寺」背後の尾根先にある、といったコメント情報を頂戴していたように記憶している。それから今日に至るまで、この城跡は自身の頭の中では長きに渡って消え失せていたのだが、再び亀岡市を訪れる機会が訪れた事によってその記憶が甦り、今回はその本来の城郭遺構への再トライという形になった。その結果として、見張り城あるいは狼煙台と呼ぶに相応しい、小規模な城郭遺構と巡り会えたことだけは最初にお伝えしておきたい。

城跡を訪れるには、国道9号線を経由して25号線に進入する事が先決となる。保津橋を渡った後は「さくら公園」を目印として車を走らせればよいが、付近まで辿り着けば登城ルート図を参考にして頂ければよいだろう。その道路沿いには道標も掲げられているので、目印とした「蔵宝寺」までは迷わず辿り着ける筈である。寺院背後からは谷筋に沿った林道を経由し、そこからそれて更に山道を利用して上れば良いのだが、この山道への分岐地点は非常に判り辛く、これから臨まれる方には、迷わず林道沿いから右手に窺われる獣避けフェンスを潜って、そこから直登で山上を目指す事をお勧めしたい。急登にはなるが、15分程度で辿り着ける筈である。ちなみに下山は山道を辿ってそのまま下りれば、自然に林道に合流する事が可能である。

登城ルート1登城ルート  城跡概念図3概念図 西切岸7切岸ここまで15分

城跡の形態は、概念図に示した如くほぼ単郭構造で、全長は15m程度土塁は尾根を遮る形で東側に施されてはいるが、切岸高低差は1mにも満たないもので、郭区画程度のものと思って頂ければそれでよいのかもしれない、、、この土塁の僅かな高まりがなければ、この地をかつての城郭とは誰も判断出来ないとは思われるが、その背後で僅かに堀切痕が窺われた事だけはお伝えしておきたい。もちろん北側斜面に縦堀らしき地形が見て取れた事によって、縄張りの必然性を含めてここを堀切と推察したのだが、非常に判別確認し辛いものである事だけは確かである。自ずと見学者の判断に委ねられる事になろうが、、、

 主郭9主郭 土塁背後12 土塁背後  北切岸10北僅かな切岸跡

堀切痕15背後尾根堀切痕 山上郭群概念図3江島里城の本質

現状(三月訪問)城跡は、主郭内に限れば薮化の深刻化した状況にあるが、郭側壁となる僅かな切岸、あるいは土塁といったところは、比較的草木も蔓延っておらず、充分判別確認可能な状況にある。もちろん小規模極まりない城郭といったところで、歩き廻る範囲も限られている事が理由になるが、、、
この山城における猫の額ほどの規模を思えば、「山城賛歌」で既にリポート掲載を終えた城跡は、間違いなく山上本郭群と呼べるものであり、今回リポートした集落監視機能とも窺える、この見張り城を併せたものこそが、江島里城の本質といえるのではないだろうか。もちろん京都府遺跡分布図にマーキングされていない山上本郭群は、私見による推定城郭遺構という事になるのだが、、、取り敢えず山上郭群の概念図は、今回再び載せたので参考までに