城跡は京都府相楽郡南山城村田山にあって、「観音寺」東背後の山の山上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、室町期において東城氏の拠った城と伝わっている。

城跡を訪れるには、西名阪自動車道を利用するのであれば「五月橋」ICが最寄の乗降口となるが、その後は4号線経由で82号線へ進入して北上すればよい。高山ダムの随分手前に高山大橋があるが、ここで右折進路変更して橋を渡り、そのまま道に任せて田山集落を目指せばよいだろう。田山集落に入れば登城ルート図を拝見して頂く事になるが、目印でもある観音寺が登城口となる。山上まで目一杯広がった集合墓地を通過してその最上段まで上る事になるが、城跡までは直ぐに到達可能となっている。現在主郭跡地は後世における民間屋敷跡地として、青竹や低草木が生い茂り荒廃し尽くされているが、既に無住の廃屋と化しているので、土塁上を含めてその周辺を探索するだけなら、許可を得なくとも問題はなさそうに思えた。

登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図 空堀土塁11北西空堀土塁

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして少し想像を膨らませていただく事になるが、伊賀に近いせいなのかもしれないが、伊賀では定番ともいえる土塁が主郭周囲を取り巻く方形居館跡と思って頂ければそれでよいだろう。土塁の東西全長は40m前後、郭内部は約30mを測る事から、この山深き地に築かれた城としては、意外に規模は大きいものと自分の眼には映った。現状大型で幅のある土塁の南側は虎口と共に消失したものと察せられるが、三方土塁はほぼそのまま残っており、空堀は外側に土塁を伴う横堀として、西側で何とか眼にする事が出来る筈である。これは堀底から立ち上がる4m近い切岸と並んで、充分見応えのあるものとして見学者の期待には充分応えてくれるだろう。ただし空堀外周を巡る土塁は、ここだけ(西側)に限られている事もあって、当時の遺構か否かの正否判定は少し困難。土塁東側にも溝程度の空堀跡が窺えるが、これも当時の遺構か否かの判定は難しいものとなっている。主郭を囲む西側の分厚い土塁コーナー部には低土塁で囲まれた櫓台の如き郭も確認出来るが、その傍には小さな石祠が佇んでいる。これはかつてこの地に住んでいた方が祭ったものなのかもしれない、、、

櫓台か12西櫓低土塁 西側土塁13西土塁上祠 主郭内15主郭内部

土塁内壁16土塁と主郭内部 土塁北外壁17土塁北切岸 土塁東側19土塁東側溝

現状(九月訪問)城跡は、無住と化して廃屋となったせいもあるが、その敷地となる主郭転用地は、先に触れたように踏破不能な状況にあり、土塁上から郭内部は覗けるものの、移動に利用する土塁上も含めて、相当藪化は進行中にあると思って頂いてもよいかもしれない。近年まで人が住んでいたという事もあって、見たままを当時の遺構とするには少し無理があるのかもしれないが、取り敢えず土塁とそれを形成する切岸や、一部に残る空堀までは当時におけるものと思えた。これらの見学材料やお手軽感を加味した上で、城跡を個人的に評価するのであれば、興味を持たれた方が訪れる分には、何とか期待に応えてくれる城跡といった事になるのではないだろうか。
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城跡は京都府相楽郡和束町中にあって、現在縄張りの全域が茶畑と化した城山と呼ばれる地にある。城史に関しては13世紀頃米山在信によって築城されたものと伝わっているが、その詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた森田城と同様5号線に進入する事が先決となるが、和束大橋を通り過ぎた後は、進路変更の目印となる小さな消防署手前で右折、後は登城ルート図中に示した矢印に従って車を走らせればよいが、随音寺(寺院と分かり難い)手前で右折してそのまま狭い道に従って上ればよい。ただしトルクのある作業用軽トラ以外は、絶対にこの狭い急坂舗装道は上れないので、車は付近に路駐してそこから歩いて上る事が要求される。ちなみに山上主郭までは10分程度で辿り着けるが、要所には城址道標が掲げられているので、迷わず辿り着ける筈である。

登城ルート1登城ルート  城跡の現状1城跡の現状  城跡遠望7遠望

城跡の形態は概念図を描くまでには及べなかったが、載せたグーグル空撮画像で想像を膨らませて頂きたい。現状山上本郭群の全てが茶畑と化しており、僅かに郭群としての起伏は確認出来るが、かつての切岸跡は茶畑としてなだらかな斜面に改変されており、郭区画を掴む事も縄張りを把握する事も不能な状況となっている。偶然茶畑で作業されている方に出会って城跡の情報を求めたが、「山上最高所がかつての主郭であった」といった回答以外は得られなかった。見学材料は皆無、遺構見学は全く成立しない山城という事になるのだろうが、ある程度見通しの利く山上に佇めば、何とか山城ロマンには浸れるといったところか、、、見学材料もなく、全く城跡としての風情も感じられない山城遺構に個人的評価は難しいのだが、今回敢えて評価を下すとすれば、史跡巡りの一環として割り切った訪問が必要となる、山城巡りにおける移動中に少し立ち寄る程度の城跡といった事になろうか。

登城口8登城口 推定主郭10最高所主郭 推定北郭群13山上北郭群

城跡は京都府相楽郡和束(ワヅカ)町白栖にあって、森田山と呼ばれる標高約280m程の、集落の西側に突き出した山上尾根に位置している。城史に関しては16世紀に森田伊勢守の築城を伝えるが詳細は不明、所在地字名を採用して白栖城とも呼ばれている。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた杣田(ソマダ)城跡を起点とすればその位置も分かり易いとは思われるが、和束大橋手前で杣田城跡とは逆の方向の62号線へ進路変更、直ぐに321号線へ左折進路変更する事になるが、その後は登城ルート図を参考にして頂ければよい。しばらく道に任せて走れば右手に目印とした真新しい製茶工場が眼に留まるが、ここから城跡の位置する山は直ぐ望めるので、その位置も確認し易いとは思われる。この付近に駐車スペースは充分確保出来るが、ここから城跡までは狭い生活道路を経由して歩いて向かう事になる。製茶工場の先の道路が分岐する地点に、小さな城址案内道標が掲げられているが、そこから城跡までは登城ルート図を参考にして頂きたい。堀切(切り通し)までは確かな山道で迷わず辿り着けよう。ちなみに所要時間は15分程度

       登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければよいが、主郭から派生する枝尾根がない事から、山上本郭群はほぼ概念図通りと思って頂いても差し支えないかもしれない。ただし、かつての堀切と察せられる切り通しから以東は密生する雑木藪地にあり、踏破確認は極めて困難、結果的にこの部分は見学者の想像に委ねられるが、自身はここまでが本郭群としての縄張りと推察。空堀は合計四箇所で確認可能となっているが、城域となる東端尾根に当たる出郭付近と中腹尾根上(土塁を伴う見事な縦堀)で明瞭なものを眼にする事が出来よう。ただしその一部は地形改変後の林道上にある為、当時の縄張りは自ずと見学者の想像に委ねられるといったことになるが、、、ちなみにこれらは少し目に付き難い場所にある為、登城道中における尾根上は周囲を窺いながら歩く必要があるが、主郭背後に施された薬研堀の如き空堀と同様、それなりに見応えはあるので決して見逃さないで頂きたい。本郭群最高所に位置するのが主郭と見受けられるが、全長20m程度の主郭の片側には分厚い土塁が付随している。この土塁の一番高い箇所は内壁高低差2mにも及んでおり、郭を区画する鋭角に刻まれた切岸同様、見学者の眼は充分楽しませてくれる筈である。

東端堀切8東端堀切  中腹土塁空堀11中腹縦堀地形 切通し切岸15切岸

東郭18本郭群東端郭 東郭群切岸19東郭切岸 主郭切岸22主郭切岸約5m

主郭土塁26主郭土塁内壁約2m 西堀切28西堀切 西郭31西郭土塁

現状(九月訪問)城跡は、城址道標が掲げられているように、それなりに見通しも利き、歩き廻り易く見学し易い状況にあると思って頂いても差し支えないだろう。林道が城跡まで繋がっている事によって、当時の縄張りを究める事は至難の業に近いが、本郭群における当時の祖形は維持されている事、堀切や切岸、あるいは土塁といったところに見応えが感じられる事、お手軽感のある山城とは言えないが、軽い山登りが楽しめる事、これらを含めて城跡を個人的に評価するとすれば、当然お薦め出来る山城の一つといった事にはなるだろう。この山城は軽装でも充分臨める事から、山城ファンの方だけを問わず、史跡ファンの方や一般城跡ファンの方々にも充分お薦め!ただし規模は問わない事が前提!
城跡は京都府相楽郡和束町杣田(ソマダ)にあって、京阪神側から訪れるには相当山深き地まで車を走らせなければならないが、少し人家の密集した中杣田集落の直ぐ東背後に迫る、城山と呼ばれる低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、国道163号線を経由して5号線へ進入する事が先決となるが、「和束大橋」手前の信号(西側)で62号線へ進路変更すればよい。そこからは登城ルート図を参考にして頂ければよいが、目印とした「正法寺」傍を通過した後は、車を預ける事になる杣田公民館を目指せばよいだろう。そこから城跡までは詳細地図を拝見して頂きたいが、A、B二通りのルートのどちらかで城跡を目指せば、迷わず辿り着ける筈である。ちなみに自身はAルート(直登取り付き口までは山道利用)で上り、民家背後に下り立つBルートで下山したが、Bルートオンリーで上り下りする方が分かり易いかもしれない。公民館からは10分程度の所要時間

登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図 西縦堀7西縦堀 

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして少し想像を膨らませて頂きたいが、ほぼ二郭で形成された山上本郭群の郭境、あるいは側壁に明瞭な切岸跡は見止められず、最高所が主郭と見受けられるもので、全長約30m、幅約20mの規模、その背後に段差程度で副郭は付随しており、二郭を併せれば全長50mにもなる、郭占有面積は比較的大きい城郭という事になろうか。明瞭な堀切は便宜上郭3とした削平地背後に施されているが、これは郭間を遮る形の横堀としたもので、一部に折れを生じさせたものでもある。自ずと見学材料の乏しい城跡における唯一の見所遺構となるが、充分見学者の眼は楽しませてくれよう。他で空堀地形は、概念図に描いた西側斜面における明瞭な縦堀、本郭群東側のスロープ上になった傾斜地西サイド(切岸は明瞭)で、横堀に三連?の縦堀が絡んだものも眼にする事が出来るが、機能の想像が付き難い事もあって、遺構としての正否判定は少し困難、これは陣城遺構でたまに目にする事はあるのだが、地表風化がそれに更に追い討ちをかけて地形を分かり辛くしており、とてもそれとは断定し難いものである。他で土塁などのように判別確認し易いものは見当たらなかったが、見応えのある遺構に巡り合う事も叶わず、この城郭を訪れる値打ちは、少し機能の想像が付き難い空堀群といった事になるのかも、、、

主郭9主郭 副郭10副郭 堀切13堀切

堀切折れ15クランク状堀切 空堀三連17三連空堀 横堀19横堀

現状(九月訪問)城跡は、載せた画像である程度お分かり頂ける様に、多くの無名に近い山城と同様山上本郭群内部における荒廃は著しく、堆積物や倒木などで内部をくまなく歩き回ることも、内部残存遺構の確認も非常に困難を究める状況にある。ただある程度見通しが利く事によって、広い主郭に佇めば臨場感だけは味わえようが、、、最後に城跡を個人的に評価する事になるが、10分内で主郭まで到達可能なお手軽感を含め、空堀遺構が拝める事だけを理由に、これからリポート掲載を予定している南山城地域の山城巡りの一環とした上で、何とかお薦め出来る城跡といった事になろうか。まだ未訪で、これから訪れる準備のある方にとっては、タイミングのよいリポートになったような気がしないでもないが、、、、
城跡は兵庫県養父市八鹿町八鹿にあって、「山城賛歌」で9年位前リポート掲載を終えた、一部城からみれば地山続きとなる真北側の山上尾根に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、南北朝期において伊達氏の拠った山城と伝わっている。ただし現状明確にされている訳でもなく、自身が今回覗いた限り、地表風化の激しい様相やそれに基く曖昧な切岸、尾根上に堀切は施されているものの、単純に郭を並べただけの単純な縄張りプランは、山城における初期形態に近いものであり、とても戦国期まで機能していた城郭のようには見えなかったが、、、

城跡を訪れるには、先に触れた一部城跡を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、267号線から城跡までは登城ルート図を参考にして頂ければよいだろう。目印となる「天女の湯」看板で進路変更した後は、新設された道路に従って車を走らす事になるが、カーブを曲がり切った地点が直登取り付き地点(画像に注目)となる。そこから少し下に降りる形となるが、なぜか遊歩道のような山道と直ぐ合流出来る筈である。これを利用して尾根上目指して上れば、直ぐにでも鞍部に到達するが、右手に進路を取れば便宜上の山上郭A群、左手に進路を取ればB群及び自身が本郭群と想定したC群へ辿り着ける筈である。

        登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図 

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして少し想像を膨らませて頂く事になるが、薄い空堀や土橋までは判別確認出来るが、地表風化や侵食の相当進んだ曖昧な切岸からは、郭区画の想像は付き辛く、郭形状や郭構成は概念図に示したまでには終わらないものと思って頂ければ有難い。先にリポート掲載を終えた伊豆城跡麓にお住まいの方に、「養父市公民館に行けば市内における山城の全てが網羅された資料が見れる筈だ」、と言われた事をきっかけに、少し立ち寄ってその縄張り図を覗いて見る事になったが、麓に近い四方枝尾根に至るまで小郭が展開される山城といった事だけは分かった。取り敢えず今回は未踏枝尾根を残してしまったが、新設された道路によって遺構が消滅した部分(北尾根側)も多く、遠距離訪問の方はこの山上郭三群だけの見学で充分のようにも思えたのである。もちろんこの山城の本質を究める意味では、一部城側まで降り、更に東側尾根上も踏破する事が要求されるが、、、この山城の見所遺構は、山城ファンの方が見れば直ぐそれと分かる土塁土橋で、概念図中に示した最低四箇所でお目にかかれる筈である。もちろん薄い空堀がそれに付随しているが、山城らしい堀底から立ち上がる切岸の醍醐味までは、とても味わえないものと思って頂きたい。明瞭な切岸はC群主郭(画像に注目)側壁において唯一拝めるが、これは高低差4m近いものであり、充分見学者の眼は楽しませてくれるものとみた!

A群段郭16 A群東段郭群 縦堀痕17 A群空堀縦堀痕 堀切10 山上郭A群堀切土橋


B群主郭22 山上B群主郭 堀切20 B群西土橋付堀切 土橋付堀切27 中土橋付空堀


C群堀切土橋25 山上郭C群土橋付堀切 縦堀21縦堀 主郭切岸23主郭切岸  

     C群東端空堀痕40東端郭空堀痕     

現状(九月訪問)城跡は、先に触れたように地表風化は相当進行中にあるが、藪化はそれほどでもなく、比較的歩き廻り易い状況が自然維持された、見学し易いコンディションの下にあると思って頂いても差し支えないだろう。現状の地形から縄張りを究める事は至難の業に近いが、城跡を個人的に評価するとすれば、見応えのある遺構は皆無に近く、縄張りを想像する部分も多いのだが、その分山城ロマンには浸り易く、山城ファン限定の城跡とするのであれば、道路から数分で辿り着ける圧倒的お手軽感も含めて、充分お薦め出来る山城の一つという事にはなるだろう。ただし遺構に過度な期待は絶対禁物!