城跡は京都府綾部市高槻町西山にあって、道路沿いに小さな案内看板の掲げられた「茶臼山前方後円墳」からみれば、広大な休耕荒地を隔てた西側の丘陵先端に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、「山城賛歌」で既にリポート掲載を終えた、大槻氏一族の拠った高槻城が直ぐ北側にある事を思えば、その築城環境及び規模から自ずとその出城といった図式が成立するのではないだろうか、、、

城跡を訪れるには、今までリポート掲載に及んで来た高槻城や木坂城、あるいは高波山城、狭間城、白道路城、八重坂城などと同様の訪問ルートでもある、485号線に進入する事が先決となるが、上杉八田城のある上杉町とも隣接したほど近い距離にあるので、国道27号線経由で進入しても良いだろう。目印とするのは当然茶臼山古墳という事になるが、高槻町交差点から直ぐ望める位置にあるので、城跡の所在位置も直ぐ確認する事が出来るだろう。古墳から城跡までは休耕荒地を通過して、少し藪を掻き分ければ直ぐの距離にある。

登城ルート1登城ルート 城跡概念図西山城概念図 取り付き口6遠望

城跡の形態は、東側の付け郭を含めれば二郭構造で、主郭の規模は全長約25m以上、全幅約18mと、利便性を求めた居住空間とも窺われるもので、この手の城郭にしては意外に広く感じられるものである。主郭内部北側には、地表風化によってほぼマウンド地形と化した幅のある土塁壇は窺われるが、これが当時における唯一の防備機能と言って良いものかもしれない。切岸は概念図に示した様に南側と西側で直ぐそれと分かるものを拝めるが、現状高低差は1m足らずと無きに等しいもので、切岸の醍醐味にはとても触れる事は出来ないと思って頂いた方がよいだろう。主郭から西側の傾斜面を降りれば、堀切も眼にする事が出来るが、現状農作地の南北を結ぶ切り通しとなっており、当時の遺構としての正否判定は少し困難といったところか、縄張りプランとしての必然性を思えば、当時の堀切という事にはなろうが、、、、

東郭19東郭 主郭9主郭 土塁壇11主郭土塁

南切岸13南切岸 西切通し18西切通し 高槻城概念図高槻城概念図

現状(四月訪問)城跡は、家屋が直ぐ傍まで迫る城跡と同様、竹林雑木藪地にはあるが、密生するまでには至っておらず、それなりに見通しも利き、縄張り内はくまなく歩き廻れる状況にあると思って頂いても差し支えないだろう。もちろん見学材料が少ない事が大きな理由にはなるが、、、
見学材料は非常に乏しく、見応えのある遺構は皆無、拝めるのは切岸だけと、城跡の評価も今回は少し厳しいものになるが、茶臼山古墳に訪れる為の史跡巡りとすれば、圧倒的お手軽感を加味した上で、何とか山城巡りの成立する城跡と言った事になろうか。高槻城がまだ未訪の方には、効率の良い二城同日訪問は充分お薦め出来るが、、、ちなみに9年前訪れた高槻城概念図を今回も掲載したが、取り敢えず参考までに
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城跡は京都府綾部市白道路町狭間にあって、数年前「山城賛歌」でリポート掲載を終えた浅根山城からみれば、川を挟んだ真東側にあり、標高114m(比高約50m)ほどのほぼ独立した低山山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、上原氏の居城、物部城が少し川を下った先の真西側にある事から思えば、その支城といった事になるのかも、、、

城跡を訪れるには、高波山城訪問ルートで目印とした「極楽寺」を起点とすれば、一目瞭然の分かり易い位置にあるが、485号線からはルート図中の赤ラインを辿れば迷わず辿り着けよう。画像を載せたビニールハウスまでは砂利道が続くが、その角を左折して山道に進入すればよい。そのまま山道に任せて切通しまで歩く事になるが、左手側に備わる獣避けフェンス開閉口(破損状態)から山上に向いて上れば、数分で東郭群切岸が迎えてくれる筈である。ちなみにビニールハウス付近からは5分程度で山上郭までは辿り着けるが、ハウス周辺に駐車可能なスペースはあっても、農作物を盗みに来たと勘違いされる恐れもあるので、この付近には絶対車は停めない事!

登城ルート1登城ルート  城跡概念図3概念図 東郭群16東郭群最高所 

城跡の形態は、自身が踏破探索した範囲で眼に留まった遺構を拾い上げた、概念図を参考にして頂きたいが、山上本郭群からなだらかに裾野を広げる西麓や北麓、あるいは南麓まで踏破に及んだ訳ではないので、取り敢えず残存遺構に関してはこれだけには終わらないものと思って頂きたい。この山城は中央空堀を境にして東郭群、西郭群と明確に分かれる構造を特長としており、攻め込まれた際にどちらが司令塔となってもその場を凌げる、機転の利く縄張りプランと察せられた。山上における郭占有面積は非常に大きく、東西全長は二百mにも達するもので、比較的規模の小さい山城の多い綾部にあっては、城域だけを捉えれば、かなり大型の山城といってよいものである。裾野の広い低山山頂に築かれたが故に、高低差を誇る切岸の醍醐味や、深く掘削された空堀の醍醐味までは望めないが、郭群が山上全域に渡って連続展開される様は、それなりに見応えが感じられるものとなっている。空堀は郭間を遮る形で図中に示した三箇所で最低確認可能であるが、その切岸同様、四世紀に渡る地表風化によって全体的には曖昧で、見応えまではとても望めないと思って頂いた方がよいかもしれない。

中央空堀20中央箱堀 西郭群空堀23空堀跡 双頭主郭27双頭主郭東 

空堀29西郭群空堀痕 西端郭群32西郭群 南郭36南郭2

現状(四月訪問)城跡は、植林地と草木の蔓延る雑木林が共存した状態にあるが、自身が踏破した山上郭群だけに限れば見通しは利き、更にその全体像がほぼ窺える、山林事業主も含めて滅多に人の訪れない無名に近い山城としては、充分誇れるコンディションにあると思って頂いても差し支えないだろう。見応えの感じられる遺構は皆無に近く、遺構が目白押しという訳でもないが、佇んだ際の臨場感だけは抜群!自ずと当時に想いを馳せる事も容易く、それに縄張りプランが想像し易い事、更に圧倒的お手軽感まで加味すれば、充分お薦め出来る山城の一つという事にはなるだろう。先に触れた高波山城や浅根山城、あるいはこの白道路町周辺に築かれた城跡の、山城巡りの一環として訪れる事を前提とするのであれば、訪城効率も非常に良く、これらと併せた同日訪問は是非お薦め!
城跡は京都府綾部市上八田町にあって、既にリポート掲載を終えた坊主山城からみれば、舞鶴自動車道を間に挟んで北西側にあり、ほぼ独立した低山の東端に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この周辺は当時大槻氏の支配したところでもあり、その傘下にあった武将、あるいは一族の拠った城郭とするのが妥当なところかもしれない、、、

城跡を訪れるには、484号線に進入する事が先決となるが、先にリポート掲載を終えた高波山城訪問の際利用した485号線から反れれば484号線へ自ずと進入出来るだろう。直登取り付き口はルート図に載せた画像を参考にして頂ければよいが、小さなガレージ背後で、山道沿いの藪を少し潜り抜けて上り切った先が便宜上の南郭群となる。直登道中における雛壇状に連なる帯郭群は、近年における治山事業の結果かもしれないが、見たままを判断するとすれば縄張りの一部ともいえようか。数分で主郭までは到達可能

登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図 南端郭9南端郭

城跡の形態は、枝尾根がない事からほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないとは思うが、麓近くまで斜面を上り下りした訳ではないので、残存遺構に関してはこれだけには終わらないものと思って頂きたい。最高所に位置する全長10m足らずの小規模な郭が主郭と見受けられ、この下にある腰郭から東急斜面側に雛壇状に帯郭は重なり合っているが、これらの切岸は鋭角に削り落とされたものであり、充分見学の対象とはなるだろう。この帯郭群の数段下には僅かに土塁と空堀が眼に留まるが、機能の想像は少し困難といったところか、南郭群との境には浅く薄くなった箱堀状の空堀地形も残っているが、僅かな土橋で何とか堀切と判断可能か、、、結果的に城中最大郭は全長20m程度の南郭という事になるのだが、個々における郭規模は小さく、本格的普請によって築かれた事は、未だ存在感のある見事な切岸を見れば直ぐ解るが、この規模を思えば残存遺構にそう多くは望めないものとみた!

南郭10南郭 南空堀14南空堀土橋地形 東空堀土塁15東空堀土塁

腰郭切岸23腰郭切岸 西郭25西郭 主郭切岸32主郭東壁

現状(四月訪問)城跡は、薮化も地表風化も随分進行しており、更に見通しも利き難く、木々の隙間を縫っての移動は余儀なくされる状況にあるが、アバウトであれば縄張りは掴み易く、年間数人レベルの人の出入りしか想像出来ない、ほぼ無名に近い山城とすれば、それなりに見て廻り易い状況にはある。見応えのある空堀にはお目にかかれないが、切り立つ切岸の醍醐味には触れる事は出来、規模や状態を問わない事を前提とすれば、圧倒的お手軽感を加味した上で、充分お薦め出来る城跡という事にはなるだろう。この山城に関しては、このリポートも一応の目安にはなるが、実際現地で遺構に直接触れて頂きたいのである。眼の付け所によっては、意外に凄い城跡という事になるのかもしれないので、、、
城跡は京都府綾部市上杉町的場にあって、先にリポート掲載を終えた上杉八田城からみれば、東側へ地山続きとなる標高241mの山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この築城環境だけで、上杉氏に関連した城郭とするには少し強引かも、、、

城跡を訪れるには、上杉八田城を起点とすれば自ずと分かり易い位置にあるといえるが、登城登山口としての目印となるのは、481号線沿いの数件民家が立ち並ぶ手前にある防火水槽で、この脇から始まる山道を利用して農作地の畦道に進入し、更に民家背後にある集合墓地まで向かい、その背後より尾根先端に取り付き上り出せばよいだろう。そのまま尾根に沿って上る事になるが、道中薮化も相当進行しており、木々の隙間を縫っての行軍は余儀なくされよう、10分程度上り続ければ、城域南限に施された見応えのある屈曲した空堀や、その上部の推定)物見出郭片側を土橋とした見事な大堀切が迎えてくれる筈である。主郭まではここから更に10分程度上り続ける事になるが、防火水槽からは合計20分程度の所要時間が必要と思って頂きたい。ちなみに防火水槽付近に充分駐車スペースあり

      登城ルート1登城ルート  城跡概念図3概念図

城跡の形態は、自身が踏破した範囲で眼に留まった遺構を記した、概念図を参考にして頂ければよいが、四世紀に渡る地表風化は凄まじく、本郭群最高所に位置する主郭は現状マウンド地形と化しており、郭境は一部の明瞭な切岸のお陰で何とか確認可能であるが、表土の流出などによってほぼ段差程度で、自ずと郭区画までは判断し難い状況となっている。その主郭周りには明確ともいえる帯郭が付随しているが、この切岸は多少崩れてはいるものの明瞭なものが拝めよう。堀切は主郭背後を断つ形で施されているが、横堀の片側には土橋、更にその片側は縦堀と、見学者の眼は充分楽しませてくれるものとみた!ただし蔓延る草木や倒木によって、その全貌が拝めないのが唯一の難点!ここから更に東斜面を鞍部まで50m程度降りれば、その両サイドに郭を従えた土塁土橋を眼にする事が出来るが、この地点が縄張りの北限かと思われる。ちなみに主郭に二対の小さな石像(画像に注目)がひっそりと佇んでいたのが気になったが、近年まで祠が祭られていたのかもしれない、、、謎。

西屈曲縦堀9西屈曲縦堀 西大堀切14南西尾根大空堀 (ここまで10分) 上り空堀道18上り空堀道

主郭20主郭 帯郭25帯郭 土橋付堀切30土橋堀切

    縦堀31縦堀 北端土塁土橋32北端土塁土橋

現状(三月訪問)城跡は、一帯が落葉樹の多い雑木藪地にあるといった事もあるが、長年の風化による浸食は随分進行しており、それに加えて薮化が更に追い討ちをかけた状況となっている。自ずと本郭群を構成する上での郭区画は掴み難く、縄張りも掴み難い状況にあるが、場所によっては多少見通しも利き、それなりに動き回り易いので、遺構見学とすれば何とか楽しめる状況にある、と思って頂いても差し支えないのではないだろうか。城跡の評価としては、縄張り妙味や状態は一切問わない事が前提となるが、山城ファンの方に限れば、これだけ地表風化が進行した状況にありながら、切岸は充分拝める事、更に尾根先から始まる空堀群の醍醐味、更に主郭背後で終わる空堀の醍醐味を思えば、充分お薦め出来る山城の一つという事にはなるだろう。最後に一言付け加えておきたいが、八田城との二城同日訪問は当然お薦め出来るが、間違っても八田城から尾根伝い(地山続き)でこの山頂を目指さない事!地図を見る限り尾根は屈曲し、藪漕ぎは必至とも思われたので、、、それに夏季訪問は出来るだけ避けるべし!
城跡は京都府綾部市上杉町小嶋にあって、数年前久保城と併せて現況リポートを終えた、上杉氏の弾正屋敷からみれば東側にあり、久保城からみれば北へ一山越えた、標高約180mの低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この築城環境を思えば弾正屋敷の山上詰城に相当すると思うのが妥当なところか、ただし唯一「丹波の青鬼」こと籾井氏が拠った山城とも伝わっており、この両者は当時姻戚関係にあったものか、、、謎

城跡を訪れるには、国道27号線に進入する事が先決となるが、「上杉」の信号で481号線へ進路変更して東進、付近まで到達すれば登城ルート図を参考にして頂ければよいが、ルート図中の赤ラインを素直に辿れば、目印とした廃車工場(画像に注目)までは迷わず辿り着ける筈である。この地元生活道路は非常に狭く、車の駐車には非常に気を使うが、工場よりそのまま生活道路を進行した先の神社付近に、唯一駐車スペースを確保出来た事だけはお伝えしておきたい。工場脇から始まる山道に従って丘陵先端部に取り付けば、直ぐ左手に屋敷跡地のような削平地が現れるが、ここから右手側の尾根に沿って上れば、藪漕ぎもなく10分内で主郭西端に施された堀切へ辿り着けよう。

登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図 西郭12西郭

城跡の形態は、何時もの様に自作概念図を参考にして想像を膨らませて頂きたいが、主郭四隅を土塁の付随する堀切で断ち、東側に連続する痩せ尾根上を土橋及び片堀切で断ったもので、主郭に狭小郭は付随するが、ほぼ単郭構造の城郭とみてよいものである。主郭の規模は最大全長35m前後、最大幅約20m前後で、この形態の山城にしては比較的大きく感じられるものとなっている。空堀群は図中に示したように、単独で施された見応えのある明瞭な縦堀も含めれば、最低六箇所で眼に留まるが、何れも見所遺構としてよいもので、決して期待外れに終わる事はないものと思えた。中でも堀底から主郭まで鋭角に立ち上がる見事な切岸を特長とした、北と西に施されたものが一番見応えがあるといったところか。

西堀切14西堀切 西縦堀15縦堀 主郭19主郭

南堀切22南堀切 北東堀切30北東堀切 北堀切34北堀切

中央縦堀32北中縦堀 切岸37切岸 東端堀切土橋39東端片堀切 

現状(三月訪問)城跡は、植林地と竹藪が混在しており、それなりに薮化の激しい箇所もあるが、概念図に示したまでの遺構は、載せた画像でお分かり頂けるように、全て判別確認の容易い状況にあると思って頂いても差し支えないだろう。城跡の評価としては、若干縄張り妙味も感じられ、広々とした主郭に佇めば充分臨場感も味わえる事、見応えのある空堀群と切り立つ切岸が拝める事、この見学材料だけで充分訪れる理由にはなり、お手軽感や規模は問わずとも、間違いなく是非お薦め出来る山城の一つという事にはなるだろう。