城跡は三重県伊賀市種生にあって、先にリポート掲載を終えた城山砦泉氏城の丁度中間地点に当たる、691号線へ突き出した形の低丘陵上に位置している。城史に関してはその名が語る様に、松尾氏の居城が伝えられているが、その詳細は不明。地元の古老にその所在位置を尋ねた際に聞き及んだ事だが、この地は現在「松屋敷」と呼ばれているそうである。

城跡を訪れるには、城山砦を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、アクセス方法は割愛させて頂くが、その登城口となる山道は691号線沿いの民家脇にあり、ルート図中にその画像は載せたので是非参考にして頂きたい。ここからそのまま山道に任せて上ればよいが、ほんの数分で屹立する見事な切岸が迎えてくれる筈である。

     登城ルート1登城ルート  城跡概念図3概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして、少し想像を膨らませて頂く事になるが、伊賀にあってはお馴染みの主郭四方を土塁が取り巻く形の、方形居館跡と思って頂ければそれでよいとは思われる。事前に植林地と化している主郭は、かつて農作地であった事があるといった事を地元で聞くに及んだが、残念ながら予想通り四方土塁の多くは消滅していた。概念図に薄茶色で示したものが現在お目にかかれる唯一の土塁跡という結果となってしまったが、郭内部は全長40m前後あり、植林地にあるお陰で見通しも利き、充分臨場感も味わえる状況にある。西側には櫓台とも窺われる土塁壇があるが、本来は現在見る事の出来る南側土塁と同じ高さにあったと考えられる。これも見学者の想像に委ねられる部分となるが、一時的な農地化によって地形改変された結果と考えれば充分納得のいくところか、、、、切岸は最初に触れた様に、主郭南壁において7mにも達する、ほぼ直立に近い形の見事なものを拝めるが、これぞ城壁と呼ぶに相応しいものとも感じられた。

南切岸11南切岸約7m 主郭14主郭東土塁  東低土塁14主郭東土塁 

     南土塁16主郭南土塁  北切岸18北切岸

現状(三月訪問)城跡は植林地にあるせいもあるが、郭内部は比較的見学し易い状況にある。ただし西側は低草木が多く蔓延り、推定櫓台付近は外見から残存遺構を判断する事は非常に困難な状況となっている。この城跡の性格を思えば、空堀を含めてそう多くの残存遺構があるとは思えないが、、、
最後に城跡を個人的に評価する事になるが、道路沿いから城跡までは三分とかからない圧倒的お手軽感、これだけで充分お薦め出来る城跡の一つという事にはなるだろう。この切岸だけは覗く値打ちありとみた!
スポンサーサイト
城跡は三重県伊賀市種生(タナオ)にあって、「山城賛歌」で数年前リポート掲載を終えた小竹氏城の北麓に位置している。この築城環境を思えば、自ずと小竹氏城の出城という事になろうが、その詳細は不明

城跡を訪れるには、小竹氏城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、39号線を経由して691号線へ進入する事になる。目印として常楽寺を目指せばよいが、この付近の道沿いならどこでも車の駐車スペースは確保出来よう。ここから城跡まではガレージ脇(画像に注目)から始まる山道を利用して上れるので、それに従って上れば数分で主郭までは辿り着ける筈である。

登城ルート1 登城ルート1 城跡概念図3概念図 堀切8堀切

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして、少し想像を膨らませて頂きたいが、本郭群はほぼ二郭構成と見受けられる。ただし主郭の東側は視認による確認も困難な低草木の密生する雑木藪地、当然踏破は困難という事になるが、更に堀切を挟んだ南側も矢竹密生地につき踏破不能、結果的には主郭とその切岸、そして堀切が現状拝める唯一の残存遺構と言う事になろうか。ただしこの堀切(箱堀)は幅が6m近くあるものの、近年造成拡張跡の窺えるものであり、自ずと当時の堀切はその形態も含めて、見学者の想像に委ねられる事になるだろう。

主郭西切岸11主郭切岸 主郭13主郭 北側切岸15北切岸

今更城跡の現状を説明するまでもないが、歩き廻れる範囲も判別確認に及べる遺構も限られたものであり、取り敢えず主郭とその切岸、あるいは南側に施された堀切見学で、この城跡は充分といった事になるのではないだろうか。これから数城、種生地区周辺の城跡をリポートして行く事になるが、それらと併せた同日訪問で、何とか城跡巡りとしては楽しめるといった事になるのではないだろうか。
この城跡は、昨年既に訪問された山城ファンの方からのメール情報で、「所在位置は福知山市遺跡分布図を見て確認する事が出来ていたのだが、丘陵上はかつて鉄塔が建っていたこともあって、重機が入った形跡があり、丘陵上南北に走る山道も含めて、全域が地形改変跡の窺える削平地形となっており、残存遺構も含めて縄張りの確認までにはとても至れなかった」、と言った内容を事前に知らされて臨んだものである。よって今回の訪問においては、自身も残存遺構の断定には自信がないが、取り敢えずここではなかろうか?と思われた地を、訪問後メールを頂戴した方とすり合わせる事になったが、ピンポイントで所在位置を記した文献もなく、今回は矢見所城参考地として記事を拝見して頂ければありがたい。ほぼ無名に近い城跡といった事から、元々多くの残存遺構には期待出来ないとは思えたが、、、

登城ルート1登城ルート (2) A地点の空堀地形A空堀か

城跡は京都府福知山市篠尾にあって、「山城賛歌」で数年前既にリポート掲載を終えた、羽合(ハゴ)城と同じ低丘陵上を共有している。城跡を訪れるには、羽合城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道9号線「広峯」の信号からは、登城ルート図を参考にして目印となるテニスコートを目指せばよい。付近までは車で充分到達可能であるが、その先の小さな倉庫背後から、丘陵上に向いては踏み跡程度の山道があり、それを利用して上れば数分で丘陵上へは到達出来よう。そこから北へ向いて少し歩いた先にある、ルート図中に記したA地点を今回城跡として判断したのだが、丘陵上は事前情報通り重機によって削平された空間が広がっており、場所の特定が非常に難しい事を改めて理解する事になった。取り敢えずそのA地点で城郭遺構として眼に留まったものを画像として載せたが、背後に土塁痕の残る小規模な削平地山道が通過する空堀地形、尾根先の両側が空堀となる土橋地形などがそれに当たる。ただしどれも自然地形に近いものであり、今回は遺構としてとても断定するまでには至れず、是非参考物件程度として頂きたい。このA地点から北へ少し歩いた地点にも櫓台風の土塁地形、あるいは広い削平地が眼に留まるが、ここもそれらしく感じられた事だけは付け加えておきたい。

A地点主郭かA郭跡か A地点主郭背後土塁痕かA土塁痕か

A地点堀切土橋地形かA堀切土橋地形 B地点櫓台土塁地形のある削平地B北削平地

今回はここが城跡と断定するまでには至れなかったが、取り敢えず、少しマニアックな山城ファンの方の為に、少しでもこの現況報告がお役に立てたのであれば、それで由としたい。
この山城は同名の山城が既に存在するが、福知山と丹波市との境にある標高416mの山頂に位置する城跡で、「山城賛歌」では10年位前既にリポート掲載を終えた形となっている。訪れた当時、薮化が相当深刻化していた事と、余りにも情報が古くなった事で、その記事自体は既に削除したのだが、自身の中では再訪プランが常に頭にある山城の一つである。今回リポートするに及んだこの山城は福知山市堀にあって、先に触れた荒木城とは山を二つ越えた東側尾根先端に位置している。この二城はそれなりに距離は離れているが、数年前「山城賛歌」でリポートを終えた西山城からみれば、南東側に位置しているので、既に西山城の訪問を終えられた方には、位置確認は容易いとは思われる。城史に関しての詳細は不明であるが、その築城環境や規模を考慮に入れるとすれば、同名荒木城の出城と思えばそれでよいのかも、、、

城跡を訪れるには、当然西山城を起点とすれば分かり易い位置にあるが、福知山市内に入れば国道9号線から175号線に進路変更して南進すればよい。踏切を渡った後の集合住宅地「日吉ヶ丘」からは、登城ルート図を参考にして目印とした工務店「細川組」を目指す事になるが、その行き止まり地点が登城スタート地点(画像に注目)となる。そこからはかつての放牧地の様な緩い傾斜地を通過して尾根上を目指せばよいが、10分程度で藪漕ぎもなく上れるものの、直登道中は倒木や堆積物で相当斜面が荒れているので、足元には細心の注意が必要。

    登城ルート1登城ルート  明瞭な腰郭5腰郭

城跡の形態は概念図を描くまでもなかったが、直登道中となる東斜面側に雛壇状の帯郭群が展開されてはいるが、丘陵上が数十mに渡って削平されただけの、ほぼ単郭で形成された山城と思って頂いても差し支えないだろう。ただこの帯郭群の郭構成までは、地表風化が激しく把握する事が出来なかったが、、、空堀は縦堀として主郭東斜面上でお目にかかれるが、二重の縦堀(片堀切)と思って頂ければ想像も付き易いだろう。何れも明瞭なものであり、城跡にあっては唯一の見学材料となっている。

主郭8主郭北側 主郭南側9主郭南側 縦堀背後15縦堀2背後

     縦堀111縦堀1 屈曲縦堀213屈曲縦堀2

現状(三月訪問)城跡はほぼ雑木藪地と化しており、当然薮化も進行中にあるが、ほぼ無名に近い山城としてみれば、遺構見学に支障を来たすまでには至っておらず、それなりに見通しは利き、充分臨場感も味わえる状況にある。郭跡を除けば見学材料が空堀だけに限られるといった事から、城跡の評価も自ずと厳しいものになるが、お手軽感を加味した上で、この無名に近い城跡を一度覗いてみたい欲求に駆られた方だけが、訪問の対象となる山城という事になろうか。
城跡は京都府福知山市拝師にあって、「山城賛歌」で数年前現況報告を終えた山崎城(山上郭群、詰城に相当か)からみれば、北東枝尾根先端部に当たる低丘陵上に位置している。この城跡を再び訪れるきっかけとなったのは、未だに訪城後における余韻の冷めやらない大城郭遺構、「観瀧寺城」の情報発信者でもある、「べーさん」によるコメントあるいはHP情報によるものであるが、その結果として、薮化も含めた荒廃の著しい古い形態の山上郭群とは違い、山崎城本郭群と呼ぶに相応しい、堀切や土塁跡、更に明瞭な切岸跡の残る城郭遺構と対面する事が叶えられた事を、まず最初にお伝えしておきたい。城史も含めて、その詳しい城跡情報を知りたい方は仮名)観瀧寺城同様、是非「べーさん」のHPhttp://blog.livedoor.jp/besan2005/archives/54698616.htmlにアクセスして頂きたい。より詳しい情報が得られる筈である。

城跡を訪れるには、国道429号線に進入する事が先決となるが、拝師地区まで到達したら、登城ルート図を参考にして109号線へ進路変更すればよい。城跡への取り付き口は画像を載せた「日の出木材」の工場入り口付近で、そこからそのまま尾根先端に向いて上れば、直ぐに切岸を伴う北郭群に辿り着ける筈である。

登城ルート1登城ルート  山崎城概念図3本郭群概念図 4山崎城山上郭概念図

城跡の形態は、自身が踏破探索した範囲を描いた概念図を参考にして頂きたいが、南背後に土塁痕の残る主郭の規模は比較的大きく、その利便性を考慮すれば館城の様相でもある。近年における道路造成事業や住宅地が直ぐ傍まで迫った環境、あるいは農作地として転用されたと窺われる主郭の様相を思えば、現状消失している部分も少なからずあるものと察せられる。よって当時の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられる事になるのかもしれないが、取り敢えず自身の眼に留まった残存遺構は、見所遺構や当時の縄張りの想像も含めて、全て概念図中に示したつもりである。空堀は主郭と北郭群の境で土塁の付随する切岸高低差3m前後のものを、更に南側斜面上において僅かに空堀土塁痕として拝めるだろう。土塁は結果的に最初に触れた主郭南背後でも拝めるが、何れも後世における農作地化、あるいは地表風化によって非常に薄くなっており、見応えまではとても望めないものと思って頂きたい。

北郭群11北郭群切岸 堀切14堀切 主郭20主郭

主郭土塁痕24主郭土塁痕  背後切岸25主郭背後切岸 土塁空堀痕30最上段土塁縦堀痕

現状(二月訪問)城跡は、全域が竹林雑木藪地にある為、薮化も相当進行中にあるが、遺構見学に差し障るまでには至っておらず、概念図に拾い上げたまでの遺構は、山城ファンを自認される方であれば、全て判別確認し易い状況にあると思って頂いても差し支えないだろう。よって城跡を個人的に評価するとすれば、それなりに見学し易い状況にある事、土塁、切岸、空堀は間違いなく拝める事、それに圧倒的お手軽感まで加味すれば、充分お薦め出来る城跡の一つという事にはなるだろう。ちなみに山崎城の本質を究めるという意味において、数年前訪れた山上郭群の概念図も同時に載せたが、まだ未訪で興味のある方が訪れる分には、決して無駄足には終わらないものとみた!ただし相変わらず東側斜面の薮化には厳しいものがあると思えたが、、、