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城跡は奈良県御所市玉手にあって、その西麓には「金比羅神社」、あるいは「孝安天皇玉手丘上陵」がある、四方に裾野を広げた標高約155mの「玉手山」山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、貝吹山城を居城とした越智氏傘下にあった、玉手氏の居城が伝えられている。ただし古くに出版されたある文献に、玉手城は方形二郭の周囲を空堀が囲む城と記載されていたように、明らかに形態の異なるこ山城は、この玉手山にあっては詰城とも考えられる事から、その文献による記述を信頼するのであれば、同じ字名を共有する城が、麓のどこかに別郭(居館跡か?)として存在するといった事になるのかもしれない、、、よって城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい。

城跡を訪れるには、一般道118号線、あるいは「京奈和自動車道」に進入する事が先決となるが、信号「玉手」の交差点からは目印となる金比羅神社、あるいは孝安天皇稜を目指せばよい。駐車場から城跡までは登城ルート図を参考にして頂ければよいが、神社までは参拝道に任せて上り、その拝殿背後から始まる広大な削平地?を尾根に任せて直登すれば、自ずと山頂に辿り着く計算になる。ちなみに駐車場からは藪漕ぎもなく15分内で辿り着けよう。

登城ルート1登城ルート 城跡概念図3概念図 西削平地11西尾根上連続削平地

城郭の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして少し想像を膨らませて頂きたいが、山上本郭群は意外に規模の大きい主郭を最高所として、その周りを帯郭や腰郭が囲んでおり、主郭と全長20m規模の南郭間には堀切が施されたものである。結果的に山上本郭群は数段程度重なる腰郭も含めれば、主要二郭と腰郭で成立した山城という事になるのだろうが、直登道中における西尾根上に展開される、出郭や広大な削平地まで含めれば、城域の相当広い大型の山城と自分の眼には映ったのである。旧態依然とした山城なるが故に、数世紀に渡る地表風化は相当激しく、見応えのある見所遺構は数少ないが、先に触れた堀切は僅かに土橋が窺えるもので、自身が踏破した範囲の本郭群においては唯一の空堀という事になろうか。この堀切はもちろん縦堀を伴うものでもあるが、二重堀切らしく堀切間における薄い土塁痕までは充分判別確認出来よう。図中に描いたまでが明瞭な縦堀(画像に注目)という事になるが、最低三本は判別確認出来る筈である。ちなみに図中に示した西尾根上の出郭にも、僅かながら土橋付空堀と土塁虎口が見て取れたが、これは周囲の地形に眼を凝らしながらの確認が必要と思って頂きたい。切岸は主郭側壁で、腰郭から立ち上がる明瞭なものを、あるいはそれと共に腰郭境でも充分眼にする事が出来るので心配には及ばないだろう。取り敢えず図中に示したまでが、自身が踏破した範囲で確認に及んだ残存遺構と思って頂ければよいが、裾野が広がる四方尾根上までは覗いていないので、縄張りも城域もこれだけに終わるものではないと思って頂きたいのである。

西出郭13西出郭約15m 虎口土塁12西出郭土塁虎口地形 西段郭群19段郭群と空堀道か

南郭19南郭約20mx10m 堀切土橋20堀切土橋 縦堀23明瞭な縦堀

主郭南虎口25主郭南虎口切岸  主郭北切岸28主郭北切岸 主郭内30主郭

現状(12月訪問)城跡は、先に触れた様に地表風化はそれなりに激しく、藪化もそれと並んで進行中にあるが、踏破に難渋するまでには至っておらず、それなりに見通しは利き、ある程度までなら縄張りも掴み易く、山林事業主も含めて滅多に人の訪れない山城としてみれば、充分楽しめる状況にあると思って頂いても差し支えないだろう。ただしそれは蔓延る木々が冬枯れした現状を見据えた上での話しになるが、これから春先までの訪城が、取り敢えず満足のいくコンディションといった事になるのかもしれない、、、上に上げた見学材料の数々に、今まで述べてきた状況まで含めた上で城跡を評価するのであれば、見応えのある遺構は皆無に近いが、踏破探索する楽しさ、縄張りを究める楽しさ、それに築城環境まで含めた縄張りを想像するだけで、充分山城ロマンに浸れる事を思えば、間違いなく訪れる値打ちのある山城という事になるし、遺構見学だけに特化しないのであれば、自ずと是非薦め出来る山城の一つといった事にはなるだろう。
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