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城跡は福井県小浜市羽賀にあって、標高約60mを測る低丘陵上における尾根先端に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、ここから更に山頂まで上り詰めれば内藤氏の居城天ヶ城に辿り着ける事、それに同氏よって築かれた丸山城が同じ山塊にある事を考慮すれば、自ずと内藤氏による築城物件という事になるのではないだろうか、、、

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた次吉城を起点とすれば一目瞭然の位置にあり、この城も「小浜IC」を降りればすぐの距離にある事から、城跡までの細かいアクセス方法は割愛させて頂くが、入山口は画像を載せた道路沿いにあり、この付近に充分駐車スペースは確保出来よう。ここから尾根に沿って上れば藪漕ぎもなく10分内で辿り着ける筈である。

登城ルート1登城ルート1 城跡概念図3概念図 主郭8主郭約15m四方

城郭の形態は縄張りがこの尾根先端部だけに限られると思えた事もあって、描いた概念図に限りなく近いものと思って頂いても差し支えないとは思うが、現状採土によって東尾根の一部が削り取られた形となっており、この付近は見学者の想像に委ねられるものと思って頂きたい。ただこの地は削平地程度といった事になるので、縄張りを掴むという事に関してはさして問題にはならないかもしれない、、、この城は尾根最高所に15m四方の主郭を構えたもので、主郭から派生する二方向尾根に堀切が施されたものである。この程度の規模なら自ずと当時は見張り城といった事になるのだろうが、この二本の明瞭な堀切が物語る様に、本格的普請によって築かれた事は明白、土塁は東堀切と箱堀に見えなくもない郭間に唯一施されているが、この土塁の値打ちは現代人には少し理解出来難いものでもある。箱堀を加えた二連の堀切とすれば防備としての土塁という事で充分納得はいくが、、、切岸は醍醐味を感じるほどのものにはお目にかかれないが、堀切壁で2m程度のもの、あるいは郭境で僅かにそれと判るものを確認出来る筈である。ちなみにこの二つの堀切にも他の山城と同様に僅かな土橋地形が見て取れるのだが、この土橋が当時の遺構か否かの正否判定が一番難しい部分でもある。この土橋における木々の根の張り具合からすれば、自ずと当時における土橋と推察されるが、取り合えず見学者の想像物件とさせて頂きたい。ここに虎口が当時開口していたとすれば、自ずと郭を往来するが為の当時の土橋という事で間違いないとは思えるが、、、

主郭切岸9主郭僅かに切岸区画 西堀切11西堀切 (2)  東堀切15東堀切

東堀切縦堀16東堀切縦堀 土塁と箱堀19土塁と箱堀7x4m 削平地切岸20箱堀より東削平地切岸

現状(10月訪問)城跡は無駄に下草や雑木も蔓延らず、見通しはそれなりに利き、小規模が故に縄張りは掴み易く、更に遺構の判別確認も容易く、認知度の非常に低い無名に近い砦跡とすれば、間違いなく楽しめるコンディションの下にあると思って頂いても差し支えないものとみた。残存遺構に見応えまでは望めないかもしれないが、当時のままが現在に至ったと察せられる遺構残存度の高さ、更に上に挙げた見学材料の数々、それにお手軽感まで加味して城跡を評価するのであれば、自ずと是非お薦め出来る山城の一つといった事にはなるだろう。もちろん臨むに当たっては規模は問わないことが大前提!
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